帰依の受戒

ネット環境が思わしくなく、ブログ更新に苦労しています。

前回ブログでご紹介したとおり、帰依の受戒式に参加してきました。

 

 

 

仏教と同様、ボン教でも帰依はとても重要。

実践のキーだとも言えます。
私は既に密教の灌頂を授かっているので、帰依や菩薩戒も受けているはず。

 

 

ところが当時はまだこうした仕来たりやチベット語に明るくなかったので、

いつ帰依戒を頂いたのか自信がありません。

 

 

 

リトリート中のシェンテンで帰依の受戒式があるとを知り、

ちょうどいい機会だと申し込んだのでした。

ところがトンデモナイことになったのです。。。

 

 

 
受戒式が午前中行われるリンポチェの法話直後になると、

当日になってアナウンスがあり。

このへんの段取り悪さはいつものこと。

うろたえることはない。

 

 

 

法話が終わると一斉に立ち上がり、

受戒する人を残して全員ホールの外に流れ出しました。

今回帰依の儀式に参加するのは10名程度。

リンポチェのお座りになっている高座の前に集まりました。

 

 

 
私の座った席はちょうどリンポチェの目の前。

ひと呼吸おくとリンポチェは出し抜けに、

「なんでお前がここに来ているんだ」と仰いました。

 

 

 

私はてっきり隣に座っているフランス人女性に向けた言葉だと思っていました。 

ところが次の一言でこれが私宛の言葉だと気付かされ、ハッと息を飲んだ。

「お前になにもかも私が与えたと、お前は言ってなかったかい?」

 

 

 

 

 

 

 

三年ほど前、私はネパールのティテン・ノルブッツェ僧院にいた。

これはその帰国直前、リンポチェのところにご挨拶に行った時に私が言った言葉なのです。

 

 

 

「なにかお土産をあげよう」とリンポチェが考えを巡らせている時に、

「リンポチェはなにもかも私にくださいました。他にはもうなにも必要ありません」と私は答えたのでした。

 

 

 
帰依の受戒はなんど受けても構わない。

実際密教の灌頂を授かる際にはおまけのようにして、何度も授けられたりする。

 

 

 

それなのにどうしてこんなことを仰るのか?

それも何年も前の言葉を引き合いに出して??

心臓をキュッとつまみ上げられたように胸が苦しくなった。

 

 

 
リンポチェは耳に聞こえないため息をつかれたように思えた。

読経の声がはじまり、僧院長ほか若い僧侶の声がその後を続く。

 

 

 

ホワイトアウトした私の頭の中。

恥ずかしさで顔は真っ赤。

胸の前に合わせた両手にもたれかかるようにしてうつむいたまま、

一刻も早くこの儀式が終わることだけを考えていたのでした。