カトマンズ巡礼ツアーも無事終了し、
私のネパール滞在も残すところ一週間ほどに。
巡礼ツアーの様子は帰国後三回に分けて、
このブログでご紹介する予定です。
お楽しみに!
さきほどボン教僧院ティテン・ノルブッツェの山門前にある、
シェルパ族のお茶屋さんでお茶を飲んでいました。
ちょうどそこに居合わせていた若いボン教僧から、
彼の身の上話を聞くことが出来ました。
彼の名はイェシェー・ギャルツェン。
ネパールの西北部の出身。
22歳のまだ若いボン教僧。
ジュムラ(フムラ)という山奥の町から、
歩いて5時間ほどのところの小さな村で生まれました。
ジュムラには空港があり、
ドルポへの入り口でもあります。
ところが今日彼の生まれた村は、
ボン教も仏教もすっかり廃れてしまっているそうです。
宗教の衰退は、村人の心の衰退でもあります。
イェシェー・ギャルツェンさんが13歳の時、
カトマンズにあるボン教僧院ティテン・ノルブッツェにやってきて、
もう9年目。
最初の3年間は瞑想学堂長ツルティム・テンジン師より、
チベット文字を学んでいたそうです。
現在は般若経典の習得に励んでいるそうです。
彼の生家はボン教徒でも仏教徒でもなかったそうです。
しかし父親が大変信心深かったそうです。
以前、地域にたったひとつだけあったチベット仏教僧院。
このラマの支援とお手伝いをお父さんは積極的にされていたそうです。
しかしこのラマが他界してからは、
引き継ぎの僧も現れず、
僧院は誰の手つかずに。。。
父親の信心深い姿を見て育った彼は、
ある日出家を決意します。
「どうして出家しようとしたのですか?」とたずねると、
「お坊さんになって功徳を積むためです」との答え。
父親は役人として地域の発展に寄与していたこともあり、
ボン教のゲシェ・ニマ・ウーセルさんと親交があったそうです。
ゲシェ・ニマ・ウーセルに連れられて、
山を下りカトマンズにやってきました。
地域初の出家者である彼の後に続いて、
他にも出家する若者が現れたそうです。
その誰もがボン教の僧院で研鑽に励んでいます。
彼は先陣を切った開拓者だったのです。
現在ジュムラの人々は少しずつ信心を取り戻しつつあるとのこと。
村人の手によって僧院の再建もはじまりました。
数年後ゲシェの学位を得た、
イェシェー・ギャルツェンさんが戻ってきた暁には、
彼がこの僧院を引き継ぐことになっているそうです。